木の本質。そんなの私に見えますかね?なんか大きいゴツゴツしたものである!否。年輪を重ねるやつである!否。死ぬまで成長し続ける植物である!否。剥ぎ取って、剥ぎ取って、剥ぎ取りまくる。キャッヘンタイ!

そして木は木であるらしい。

目の前にあるこのコーヒーカップがコーヒーカップであると言えるのは、コーヒーカップの概念を当たり前のように知っているからなのでしょうか。コーヒーカップはコーヒーを飲む為のカップである。でも公園に行って、小さな女の子が砂場で砂のコーヒーカップを作っていたとしたらどうでしょうか。そのコーヒーカップにはコーヒーを入れられないし、勿論飲むこともできません。でもそれはコーヒーカップなのです。コーヒーカップをコーヒーカップたらしめているあなたは誰?あなたは時に砂。時に土。時に雲。時に影。時に光。時に夢。コーヒーカップしてましたね。

 

つまり、わいせつパーティーをわいせつパーティーたらしめているのはパーティーではなく、わいせつであるということです。大体、俺はパーティー嫌いです。わいせつは好きです。ベッ。